頑張ることよりも大切なもの

スズキです。

頑張っていることに意味はない

という話です。

ちょっと本質的な話ですね。
本質的な、個人の感想ですけどね。
賛否両論あるのかなとは思います。

私は
頑張ることに
意味はあんまりないと
昔から思っていて。

じゃあ頑張ったらあかんのか
って話なんですが、

頑張ることは
いいと思うんですよ。

頑張るのはいいと思うし、
頑張らない人より
頑張る人の方が
絶対いいと思います。

もちろんそれはそうなんですけど
”頑張ること自体”には
あんまり意味はないかな
と正直思ってて。

じゃあなんやねんって
話なんですけど

頑張ることより
続けること
に意味があるのかなと思ってます。

頑張るって
主観なんですよね。

「頑張ってます」っていう
主観なんですよ。

あくまで自分基準なんです。

「あいつ頑張ってんな」
って他人から評価されたり
思われる分には
すごくいいことだと思います。

ただ、それも
ちょっと主観ですね。

その見てる人側の主観
なんかなと思います。

でも、

”続けること”って
結果なんですよね。

1年間やり続けた
半年やり続けた
3年間やり続けた

っていう実績の話です。

頑張るって
測れないんですよね。
頑張る”ものさし”ってないんですよ。

あります?
ホームセンターで売ってますか?笑

頑張ってますね
っていうのを測る定規とか
測りとか”ものさし”みたいなやつ
売ってますか?

ないでしょ?(笑)

でも、
続けるって測れるんですね。
記録つけていくわけなんで。

それって
データになるじゃないですか。

で、頑張るって
データ化できないですよね。

どんだけ頑張ったかって
分かんないですよ。

続けるっていうことに関しては
データ化できます。

それを見て
頑張ってるんだなって思うか
まだまだだなって思うかは、
それも人の主観なんで。

だから、その”頑張り”自体には
あんまり意味はないと思ってて。

よく
「頑張ってるんですけど…」
「努力してるんですけど…」

とか

「努力して報われなかったら嫌だ」
「頑張って失敗したら嫌だ」

って言う方がいるんですけど、

いやそれは
主観ですよって話で。

・あなたより頑張ってる人
・あなたより努力してる人
・あなたの100倍
 尋常じゃない努力してる人
・頭使ってる人

世の中いくらでもいます。

もちろん、
私より努力して
私より頑張ってる人間も
世の中いくらでもいます。

上には上がいますから。

頑張ってるんですよ

って言われても
いやーもっと頑張ってる人って
世の中いっぱいおるぞ〜
俺の方が頑張ってるし〜

って内心みんな
思っちゃうじゃないですか。

なので、
”頑張る頑張らない”自体に
意味はあんまりないかなと思います。

毎週コンサル生から
週報で報告をもらってるんですが
出さない人も多いです。

出さない人も多いですけど
毎週報告きちんと出す人も
もちろんいらっしゃって
書いてくるのえらいなと思います。
すごいなと思います。

で、その人自身からすると

「頑張ってる」
「頑張って毎週提出してる」

と思ってると思います。

ただ、
何度も言うんですが
「頑張ってる」思ってること
自体、意味はないと思ってます。

っていうのは、

週報って言っても
内容はもちろん異なります。

3行〜5行ぐらいの短い文で
きちんと毎週書いてくる人。

きっとその人は
「俺毎週頑張って書いてる」
と思ってると思います。

一方で、
30行ぐらいの長文で
週報を出される人もいます。

毎週です。

もちろん文章量が全てではないですが
文章量が増えるとそれを考える時間
書く時間が圧倒的に必要ですよね。

そして、そういう週報の返信には
こちらも20行〜30行ぐらいの長文で
書いたりしてるんですけども

3行とか5行ぐらいの人からしたら
その人の方がボリュームでいうと
圧倒的に頑張ってると言えるでしょうし。

でも、実際その30行の方は
自分ではさらさら〜って
書いてるんでしょうし

「別に自分は頑張ってない」
と思ってますよ。

というより
「これが当たり前」だと
思ってるんじゃないかと思います。

そういう人ほど
がんばっているという意識はなくて
「当たり前だから」っていう
ただそれだけでやってるんだと思います。

毎週出しているわけでは無く、
たまに書いてくるって人ほど
「ちょっと今日は
 頑張って書こうかな」
っていう感じだと思います。

なので、

・毎週ちゃんと続けてる人
・当たり前のようにしっかりと
 報告してくる人

そういう人は
頑張ってるって意識なんて
ない人じゃないかなと思います。

ちなみにでいうと
私は全員に対して返信を書いてますので

皆さんが私に週報を提出する
 
 ↓

私は全員に対して返事をしている

文章量や返すメッセージ量で
頑張ってる頑張ってないに
当てはめて言うと、

私の方が10倍以上
頑張ってることになります。笑

とは言いますが、
もちろん私も
別に頑張ってる気は無いです。

これが仕事なんで当たり前
だと思ってます。

頑張ってるわけではないです。
頑張らなくてもやります。

頑張るとか頑張らないって
特に考えてないです。

書いてきたら返信をする
っていうのが礼儀だと思ってますし

それが仕事だと思ってるんで
別に自分が体調悪かろうが
熱を出そうが書きます。

よっぽどのことがない限り、
手が動く限り、
頭が動いている限り
は返信を書いてます。

出張先とか
どこ行っても
普通に書いてますんでね。

だから、
出したり出さなかったりする人は

「ちょっと先週サボってました
 今週は頑張って書きました」

ってあるかもしれないですけど。

私から言うと、
頑張る頑張らない
っていう感じでもないので

「単純に続けなかったんだな」

「この人は続けてるんだな」

っていう事実だけで物事を見てます。

「この人は毎回毎回
 長文でしっかり書いてくるんだな」

っていう事実が残ってるだけですね。

なので、

自分が頑張ってる
→ 結果が出る

というような

結果が出なかったけど
頑張ってるつもりだ
っていうのを、

結果とイコールに結びつけるのは
ちょっと間違ってると思います。

それは周りとの
相対評価っていうか

頑張り方を間違ってたら
当たり前に結果も出ないですし。

運の要素も結構強いんで
結果が出る出ないは
ぶっちゃけ分からないです。

頑張ってる人って
世の中に大量にいますんで

めちゃめちゃ頑張ったからといって
飛び抜けて結果が出るかは
分からないです。
運の要素もありますし。

なので、
ドライな言い方をすると
がんばる・がんばらないっていう
言葉自体で言うと
どっちでもいいかなと思ってます。

むしろ頑張ってるとか
思わない方がいいかな
と思ってます。

頑張ってると思っちゃうと
続かないことの方が多いんですよ。

大事なのは、
やり続けることなんで
頑張ってるなって
思うことではないんです。

やり続けるって
どういうことかっていうと

そもそも
頑張ってるとか頑張ってないとか
そういうこと自体
何も思わなくなります。

私毎週2回ジムに行って
パーソナルトレーニング
受けてますけど
頑張ってるっていう感情とか
感覚一切ないですね。

普通に仕事やと思って
息を吸って吐くように行って

しんどいトレーニングをして
終わってプロテイン飲んでって
これもうルーチンワークの一つなんで。

全員に週報返信してるっていうのも
ルーチンワークなんで
別に頑張ってるって
思ったことないですね。

だから、
「頑張ってます」
っていう人に対しては
別にその頑張ってる・頑張ってない
っていうことに対しては
どっちでもいいかなと思ってます。

これすごいくドライなこと
言ってますけどね。

自分が
頑張ってる
頑張ってない
ということを言い出すと
もうキリがないので。

あと、
他人との
相対評価になりますから。

比べてもしょうがないです。

大事なのは

・自分が続けてるか
・続けてないか
・やってこれてるか
・やってこれてないか

ですね。

結果として

・ここまで続けてるか
・途中でやめてしまって
 投げ出したか

っていう結果ですね。

自分で自分の評価をするときは
そこでするようにしてます。

あと
他人を見る時の評価っていうのも
同じところを見てます。

・続けてる人

 or

・続けない人

だから、本人が

「サボってませんよ」

「頑張ってますよ」

っていくら言おうが

途中で辞めてたり
やらなかったりしたら
”やらない人”っていう
評価しか残らないです。

もう結果でしか見ないんで
サボってるっていう
見方にしかならないですね。

これは自分にも
当てはめてるんですよ。

自分はやってたことを
途中でやらなくなったら

「あ、俺サボってるんやな」

って思ってます。

他人に対しても、
やらない人に対しては
「あ、サボるんやな」って
いうふうに思っちゃいますね。

別に悪気があって
思ってるわけでもないし
その人が嫌いとかじゃないです。

単純にその結果だけ見て

・続けてる人か
・サボってる人か
・投げ出してやめた人か

みたいな感じでしか見れないです。

これはすごい
客観的なものの見方ですけども。

ここにね、
主観を入れるともう
わけわからんくなるんですよ。

いや頑張ってるんですけどね
努力したんですけどね
なかなか結果が〜
とか
メンタルが〜
って言うじゃないですか。

メンタル論に
持っていこうとすると
頑張ってる頑張ってない
っていう話が絶対出てきちゃうんですよ。

だから、
まずその大前提を排除する。

排除すればそのメンタル論に
ならないんですよね。

「頑張ったのに結果が
 出なかったからへこみます」

「一生懸命やったんですけど、
 もうしんどいですわ」

ってなるじゃないですか。

まずその前提をなくしてしまったら

メンタルに対しての
「しんどいです」
っていうのがなくなるんで
いいですよっていう話です。

大前提なんでね、そこはね。

ただ、頑張る頑張らない
的なところで言うと
”頑張って当たり前”
っていうのがあります。

そして自分より頑張ってる人間が
世の中数えきれいぐらいいるから

そこで結果を比べても
一緒ですよねって話で。

多分一生終わらないって話なんで

もう20歳過ぎたら、
頑張ってる頑張ってないとか
言わんでいいんじゃないかな
って正直思います。

だって、
頑張ってる人なんか
世の中いっぱいいてるし
自分より頭が良くて
頑張ってる人間って
いくらでもいてるんで
もうキリがない。

あと、逆に
サボってる人間
見ててもキリがないんで

自分が
「続けてる」か「続けてないか」

っていう
この事実だけを見るように
した方がいいなと思います。

・自分がどこまで続けたいか
・どういうレベルで続けたいか

っていうところの目標に対して
「やれてる」のか
「やれてない」のかです。

その結果が

「2年間やってこれました」

「3年間やってきました」

ってデータ化できるってことです。

例えば、

「筋トレで5年間やってきました」

っていう時に、
ああ、頑張ったんやなと
思えばいいと思います。

それで終わり
でいいと思います。

途中で、

今日は頑張ったなとか
今日は頑張ったから
結果出るやろなんてことは
思わなくていいかなと思います。

結果出るのって
1年〜2年後の場合がほとんどなんで

今日頑張ったからって
明日結果なんか出ないですからね。

来月に結果なんか
出ないですからね。

もっともっと先の話なんで。

だから

「頑張ってんのに結果が出ません」

「頑張ってるのにうまいこといきません」

ってへこむ人は

「今日頑張ったから来月結果出るやろ」

「再来月結果出るやろ」

と思ってるから、そう感じてしまうんであって。

「これ結果出るの来年やな」

とか
極端に言うと、
俺が頑張って評価されるのは
自分がこの世を去ってからやなとか。

モーツアルトとかベートーベンとか
そのレベルくらいで
思っといたらいいんじゃないですか。

ピカソとかそうですよね。

亡くなってから
絵に価値が出たんですよね。

昔の音楽家や芸術家って
その方が生きてる間に
評価されてないですよね。

その方が亡くなってから
評価されてますよね。

死後100年後とか200年後に
評価されてますよね。

なので、
その境地ぐらいで
いいんじゃないかなっていう。

極端ですけどね(笑)

今日頑張った結果って
来年か再来年か、そのうち
出るんかなとか思いながら
やったらいいんじゃないかな。

これを、来週出るとか
再来週出るとか
来月には出るとか
思ってやってるから
なんかへこむんでしょう

っていう話で。

「頑張ってんのに結果が出ないです」
って、

だからその結果出るのは
まだまだもっと先の話
なんでっていう。

ただただ頑張ったっていう、
自分なりの自己評価が
残ってるだけで
結果はまだわからんですよ。

ひょっとすると
明日にはやめてるかも
しれないんですよねって。

だから、
1ヶ月ぐらい
自分なりに頑張ったと。

で、結果が出ないから
投げ出したら
他人から見たら
サボりやんっていう場合

ありますよね。

そんなんって
めっちゃ多くないですか?

「いや、頑張ったんですけど」
「1ヶ月頑張ったんですけど」
「3ヶ月やったんですけどね」

たまに言われますけどね、

3ヶ月やったって別に
頑張ったうちに入らんやん
っていう話で、
それで結果なんか
出ないっしょっていう。

「結果出るの来年やし」
「再来年やし」

って思うわけですよ。

だから、それで

「もう結果出ないんでやめます」

「頑張ったのになんかうまく
 いかないんでやめます」

って言うかもしれないですけども。

いや、
別に頑張ってもないし、
人から見たら
頑張ってるレベルにも入らないし
もっと頑張ってる人いっぱいいるし

結果出ないとやめますって

結果出るのもっともっと先やから
別にやめなくていいんじゃない?
と思うんだけどっていう話です。

主観が入りすぎてると
こうなるので
客観的になった方が
いいかなと思います。

やってきた事実

結果が出るまでの結果

っていうのは

「どれぐらいの結果が出ると思って
 行動してるのか」

そこのすり合わせですよね。

その結果に対しても
なんとなく思ってる人が
すごく多いんですよね。

で、
感情的になる場合が
あるんですけど。

いや、こんだけやったら
これぐらいの結果が出るんやろうな
っていう、データをちゃんと
取っていかないといけないんですよね。

せどりなんかで言うと、
こんだけお店を回りました。
仕入れにこんだけお金使いました。

じゃあ売上はいくら立つよね、
300万円売上立つよね、
500万立つよね、

利益率20%だったら
60万利益出るよね
100万円利益出るよね。

っていう逆算ですよね。

こんだけ仕入れたからって。
そこで頑張った頑張ってないとか
別にどうでもよくて、

こんだけ行動して、
これだけの資金を費やしたから
リターンっておそらく
これくらいは出るよね
っていう想定ですよね。

その数字が出なかった場合
ちょっと計算違いかとか
データがどこか狂ってんかなとか

値段の付け方間違えてるのか
商品の設定が間違えてるのか
っていう振り返りですよね。

特にせどりやってる人で多いのが
仕入れを頑張って終わりっていうね。
出品してないやんっていう話とかね。

出品したはいいけど、
値付けちゃんとしましたか?

商品登録の時ちゃんと
説明文書いてますか?
写真撮りました?とか

そういうレベルですよね。

そこまできちっとやった上で
データを検証して、
その数字通りはまったなとか
想定の結果通り
出てきたなと思ったら

「よし頑張ったな」って思ったら
いいかなと思います。

そこで
自己評価下したらいいかなと思います。
データが出てるんでね。

だから、

データが出る前に

「頑張ったんですけどね」

って言ったところで

「はい、そうですか」

ってなっちゃうんで
それはあんまり言わない方が
いいかなと思う。

何が言いたいかというと
いい大人が

「私、頑張ってるんですけど」

「頑張ったんですけど」

って

頑張ってるより
続けてる方が価値が大きいですし
頑張ってるって測るものさしも
何もないので、

頑張ってるデータって
主観なんで誰にも
分からないんですよ。

自分でそう思ってるだけの
話なんで、分かんないですよね。

他人から

「頑張ったのにな」
「あんだけ頑張ったのに」

って言われたとしても

この人がそう思って
言ってるだけだと思います。

あくまでやってきた結果、
実績を見て判断したら
いいかなと思います。

すごくドライな話してますけども

そうやって思ってる方が
冷静にデータ見て、
検証して次どうしよう
ってなりますから。

感情的になって
感情を入れちゃうと
データ分析しないんですよね。
データを振り返れない。

感情を入れしまうと
何がダメだったか、
何がまずかったかとか
そういうのをしっかりと
検証しなくなるんです。

なので、
感情は入れなくて
いいかなと思います。

もし感情的になるんやったら
一回その場を離れた方がいいかなと。

ちょっと違うところに行って
気分転換するとか、
感情は持ち込まない方が
いいかなと思います。

ということで、

私なりの

”頑張っていること
に対しては、意味がない”

という話でございました。